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教授コラム

教授コラム Vol.75「おふくろの味」

私の母は昭和6年(1931年)生まれ、今年で95歳となった。戦前の朝鮮半島で生まれ、名前は朝子(ちょうこ)。祖父来助と祖母純子には6人の子供がいたが、一番上の姉は大陸で病気のために早くに亡くなったと聞く。二人の兄は長崎の原爆で亡くなり、母は残された3人姉妹の長女となった。母が子供の頃を過ごした朝鮮では、夜なかに目が覚めると狼(ヌクテ)が吠える声がして怖かったと言っていた。昭和17年に祖父が長崎大学医科大学の第一外科の教授として着任し、母は長崎に暮らすこととなった。それから3年後長崎に原爆が投下されるが、その時には郊外の滑石町に疎開していたので母は無事だった。当時は中学生だっただろう。長崎医科大学の講義中に爆死した兄の安否がわからない原爆の直後に、お兄ちゃんが夢に出てきて声をかけても何も言わず寂しそうにしており、それで亡くなったのではないかと感じたという。講義中に爆死した兄の死亡が確認されたのは8月28日のことであった。祖父は大学の教授室で被爆し、掠り傷ひとつなかったが、しばらくして急性放射線障害による倦怠感が強く、父から頼まれ母が点滴をしたと言っていた。その頃から気丈なところはあったのだろう。皮肉なことに母の誕生日は8月9日、長崎の原爆の日であり、兄の命日であった。毎年8月9日には長崎大学で肉親を失った人たちのための慰霊祭があり、祖父が遺族代表のような立場を長らく務めていたので、私達家族、とくに祖母や母は一日中バタバタしていた。夜になって祖母が思い出したように「朝子ちゃん、誕生日だったね。おめでとう。」というのが毎年のことであった。戦時中にも誕生日を祝うなんて余裕はなかったはずなので、母は一度も自分の誕生日を祝ってもらったことはないはずだ。

私は父母の三男として生まれたが、3歳までしゃべらなかったらしい。父が冗談半分で「憲は施設に入れんといかんかな?」と言ったら、母は「憲はしゃべらないだけで全てわかっています。」と珍しく本気で怒ったという。私は三歳を過ぎたら、うるさいくらいしゃべりだしたらしいので母の方が正しかったようだ。母は口数は多い方ではなかったが、いつもかわいがってくれた。

母は結婚まで祖父母の家におり、料理の経験はあまりなかったという。結婚当初は料理が苦手で、兄たちの記憶では「おいしい」というと同じメニューが3日間続いて閉口したという。それから、母は料理本で勉強したり、料理教室で学んだりで私の物心ついたころにはいろいろおいしいものをつくってくれた。家庭料理はもちろん、ロシア人の宣教師から習ったピロシキやボルシチなど結構凝った料理も作っていた。

母は朝鮮で生まれたからか、辛い物が好きだった。明太子やキムチなども好んでいた。あの頃、それぞれ家庭でカレーを作る時には定番のカレーのルーがあったと思うが、私の家ではハウスジャワカレー辛口だったと記憶している。当時の市販のルーの中では最も辛いものだった。この記憶が確かなものか気になって調べたらハウスジャワカレーは1968年に売り出されていたようで間違いはなさそうだ。私自身の辛いもの好きは母から遺伝している。母は私が子供の頃、鳥の胸肉をしょうゆや鷹の爪で甘辛く煮込み、千切りした生姜がのっているシンプルな料理をよく作ってくれた。ピリッと辛く、食べだすと止まらず、大好きだった。思い出したように私自身その料理にトライしたこともあるが、母の味は出せない。

父が亡くなって20年近く、長兄夫婦の支援もあって母は一人で祖父の家で過ごしていた。認知症が進んで、今では施設に入所している。もうずいぶん前になるが、母に料理の話をしたところ、「もうわからんくなった。」と少し寂しそうに笑った。認知症が進んできているとは思っていたが、母にはもう料理自体の記憶がなかった。母の認知症が相当進行していることを改めて思い知らされたのはもちろん、大切なものを失ったような衝撃を感じた。母は料理を一生懸命に作り私達、息子たちに愛情を注いでくれた。忘れられない愛情表現だった。その姿をみて、愛情を感じていたからこそ、とても寂しかったのだと思う。

もう95歳、ずいぶん体も衰え、認知症もさらに進んでいる。先日、長崎の出張の時に母の施設を訪問したところ、もう会話は成立しなかった。でも帰り際に施設の職員さんが私を指して「この人だれ?」と母に聞いたところ、母は「憲、群馬から来た。」と言ってくれた。それだけで嬉しかった。数年前まで、「群馬で不自由はしとらんね?」何度も何度も繰り返し聞いていた。いつまでも母はありがたいもの。全ての記憶を失ったとしてもいつまでも生きてほしいと願っている。

もう食べられないと思うほど、食べたくなる。味の記憶って大切ですね。皆さんのお母さんがお元気ならば自分が好きだった「おふくろの味」をお母さんにリクエストしてみてください。もちろん、料理の味だけではなく、子供のころに注いだくれたお母さんの愛情のありがたさをもう一度噛みしめることができると思うのです。その時にお母さんへの感謝を伝えられたら、最高ですよね。