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教授コラム

教授コラム Vol.52「Guérir quelquefois、~時に治し」

私達が治療している肝胆膵がんは難治癌の代表です。国立がん研究センターなどの研究班が報告したがんの10年生存率も肝臓、胆のう・胆道、膵臓のがんはワースト3です。それぞれの10年生存率は肝臓16.2%, 胆のう・胆道19.1%、膵臓がん6.2%にすぎません。しかしながら、この領域も新しい薬剤が次々に開発されています。そのため、治療成績は向上していくものと期待しています。

また、この領域のがんの手術は朝から開始して夕方に終了するような大きな手術が多いため、患者さんの身体に与えるダメージも大きいものがあります。群馬大学肝胆膵外科では様々な努力を重ねることで、安全な手術にすることができました。しかしながら、退院した後のがんの再発は多く、それによって長期的な生存率が低いままとどまっているのです。 「時に治し、しばしば和らげ、常に慰む。」という言葉があります。Guérir quelquefois Soulager souvent Consoler toujoursというフランス語が基になっています。この言葉はエドワード・リビングストン・トルドー医師(1848生-1915没)が好んでいたとされる言葉で、アメリカ、ニューヨーク市郊外アディロンダックスにあるサラナック湖畔にある彼の偉業をたたえた銅像の台座にフランス語で彫られているといいます。トルドー医師は結核療養所(サナトリウム)を世界で初めて作った医師です。トルドー医師は医師を目指し、1871年に医科大学を卒業するも彼自身肺結核に罹患し、医師や友人の勧めでニューヨーク郊外にあるサラナック湖畔にある狩猟小屋で静養することとなりました。当時肺結核は不治の病であり、正に死の病であったと思います。しかしながら彼は同地での療養により奇跡的に健康を回復し、その経験を基に1884年この地に結核患者の療養施設・サナトリウムを建設しました。

この格言の由来に関しては、昭和天皇の執刀をされたことで高名な外科医、東京大学名誉教授/日本赤十字社医療センター名誉総長の森岡恭彦先生が詳細な調査をされ、論文にしておられます1)。日本ではいつのころからか、この格言が近代外科の父とされるアンブロワーズ・パレの言葉であるという説が定着し、平成20年の医師国家試験にも出題されたそうです。「我包帯す、神これを癒し給う」というパレの言葉が医師の謙虚な姿勢の重要さを説いたとすれば、「時に治し、しばしば和らげ、常に慰む。」という言葉にも通じる精神を感じられることがこの誤謬の原因かもしれません。森岡先生はパレに関する著作もあり、パレに関して大変お詳しい先生です。詳細な調査の上、これはパレの言葉ではないと結論をされました。森岡先生の詳細な調査にも関わらず現在のところ、出典は不明ということです。

いずれにせよ、「時に治し、しばしば和らげ、常に慰む。」という言葉は当時治療法もない不治の病とされた結核に罹患した患者さんたちの治療を行ったトルドー医師にとって大切な言葉だったのでしょう。病状が悪化していく結核患者さんには寄り添うことしかできなかったのだろうと思います。でも、寄り添うことで症状が和らぎ、慰められた患者さん達がいる。私自身、がんの緩和療法が十分確立していなかったころ、鎮痛剤が効かないがんの末期の痛みに苦しむ患者さんの背中を他にどうしようもなくて、ただたださすっていたことを思い出します。もう痛み止めを使い果たし、そのころの自分にはそれ以外どうすることもできなかったのです。でも患者さんには楽になりましたと言っていただきました。このようなことは転んだ人がいたら手を差し伸べるといった当たり前の行為のように思います。医師という立場を捨てて、ただ人間として対峙することだと思います。

翻って私達、肝胆膵外科医はどうでしょうか?肝胆膵がんの10年生存率を見れば「時に治し」としか言えない治療成績だと思います。たとえ手術が予定通り安全にできたとしても必ずしも患者さんの長期的な予後を保証するものにはなっていません。そうだとすれば私たちは患者さんたちに常に寄り添い、「しばしば和らげ、常に慰む。」ことを忘れてはならないと思います。

引用文献

1)森岡恭彦。「時に癒し、しばしば和らめ、常に慰む」~guérir quelquefois Soulager souvent Consoler toujours~
 ~to cure sometimes, to relieve often, to comfort always~ 日本医学史雑誌 2020:66;300 - 304.