群馬大学総合外科学講座では桑野博行先生の時代から毎年”Surgical Science”という業績集を発刊しています。私は毎年巻頭言として文章を書いてきましたので、ご紹介させていただきたいと思います。以下がその文章です。
昨年の11月24日、25日に高崎のGメッセ群馬で第34回日本消化器癌発生学会総会を開催させていただきました。この学会は私の前任地の九州大学の前原喜彦教授(当時)が理事長を務められたときに学会幹事として活動をさせていただいた思いの深い学会です。また、前原先生の後を引き継がれた徳島大学の島田光生理事長(当時)から、第34回総会の会長のご指名をいただきましたので、会長を務めさせていただきましたことは大変光栄で、望外の喜びでした。開催にあたりましては群大の肝胆膵外科の教室員の皆様はもちろん、佐伯浩司教授をはじめとした消化管外科の皆様、未来先端研究機構の横堀武彦准教授にも多大なる貢献をいただきました。心から感謝を申し上げます。また、多くの皆様方のご協力で盛会裏に終了できましたこと、改めましてこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。
さて、私がその学会で発表させていただいた会長講演のタイトルは「外科医の責務」という少し変わったものでした。このタイトルは私がまだ駆け出しの外科医の頃、九大の肝臓グループの大先輩である松股 孝先生(昭和53年卒)にいただいた言葉に基づいています。松股先生は中津市民病院の院長を務められていた時期があり、その頃中津市民病院には当時群大からも若い先生方が派遣されていましたので、ご存じの先生方もおられると思います。
ある日、松股先生と久しぶりにお会いをして、「最近、肝臓がんの手術が多くてうれしい悲鳴です。」という話をしたら、松股先生からお叱りを受けました。「いつまでそんな野蛮な手術をやっているの?外科医は自分の手術した患者さんの臨床情報、標本などすべてを持っている。がんの手術という野蛮な行為を終息させるのは外科医にしかできず、それは君たちの責務ではないか。」と言われるのです。患者さんの切除標本や臨調情報を基に研究を進め、手術ではなくてがんが治る方法を考えよということですね。
私は2004年から2009年まで麻生飯塚病院で、肝胆膵外科医の責任者として赴任し、多くの手術を手がけました。当時、自分が関わった手術の患者さんの予後は全てフォローしていました。統計学的には全国のデータと比べても遜色のない成績ではありましたが、ご存じの通り、肝胆膵癌は難治癌の代表であり、多くの患者さんが再発しそれによって命を落としていました。肝胆膵癌の手術自体がリスクの高い手術です。もちろん、術前に手術のリスクなどについて十分お話をしたうえで手術をするわけですが、私に命を預けてくれて手術に臨んだ患者さんががんによって亡くなることは断腸の思いでした。本当に申し訳なく感じていたのです。多くの臨床研究によって拡大手術では進行した癌の患者さんを救うことができないことは知られていますので、新たな薬剤による治療を開発しなければbreak throughはないと思い、がんの基礎研究に取り組みたいという気持ちが強くなりました。
それ以来、がんの基礎研究を中心に若い先生方とともに行ってきました。まだまだ、松股先生の言葉に答えることはできていませんが、何とかbreak throughを見出すためにこれからも頑張っていきたいと思います。今日、外科医の興味は低侵襲な手術を安全に行うことに主眼がいっているように思いますが、外科医の責務はまさに癌の治癒にあることを忘れてはいけません。私は「あの頃は癌に手術をしていたんだよ。」という日が来ることを夢見ていつか「外科医の責務」を果たしたいと願っています。