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教授コラム

教授コラム Vol.41「外科医の父より医師になる息子へのメッセージ8 生まれ変わっても外科医になる。」

「生まれ変わっても外科医になる。」は最近亡くなられた北島政樹先生のお言葉です。北島先生は慶應義塾大学の外科学の教授としてご活躍、2000年には第100回の日本外科学会の会頭を務められた外科学の泰斗でいらっしゃいました。北島先生は内視鏡外科やロボット手術に早くから取り組まれ、現在の外科の流れを作られました。慶應義塾大学を退官された後は国際医療福祉大学の学長を務められました。いつも温厚で、学閥に関係なく、私にも温かい言葉をかけていただきました。亡くなられる直前までとてもお元気でしたので、未だに信じられませんし、残念でなりません。実際、今年の外科学会でお会いし、「来年は慶應義塾大学の北川雄光先生が会頭を務められる外科学会、楽しみですね。先生の外科学会を思い出します。」とお話ししたところ「そうだね。あれからもう20年だからなあ。俺も年を取るわけだよな。」とおっしゃいましたので、「先生、全然変わらないですよ。」と言ったところ、ポーンと私の肩を叩いて「なにを言ってるんだよ。」とにっこりとされたことを思い出します。それが北島先生との最後の会話になりました。以前、私たちは徳島の消化器外科学会に群馬大学の初期研修医の先生と一緒に参加していました。その時、たまたま北島先生にお会いしたところ、「外科はいいぞ」と研修医の先生に熱心に外科のよさを語っていただき、最後に「僕は生まれ変わっても外科医になる。」とおっしゃったのを思い出します。

最近、患者Tさんからお葉書をいただきましたので紹介したいと思います。このコラムに紹介することは娘さんに了解を得ています。Tさんは現在89歳です。Tさんには88歳の時に膵頭十二指腸切除という手術を受けていただきました。お腹の手術では最も大きな手術の一つです。ご高齢なのが気にはなりましたが、Tさんは若いころは体操の国体選手だったそうで、たいへんお元気でしたので、手術を受けていただきました。術後ご飯が食べられない時期がありましたが、最終的にはそれを乗り越え、元気に退院をしていただきました。現在は術後8か月目、ご自宅の近くの病院に通っていただいています。

その患者さんから、直筆のお葉書をいただきました。

「調先生、遅くなって本当に申し訳ございません。先生に救っていただいて、私の人生観はすっかり変わりました。今デイサービスセンターへ通っています。他の方は車椅子に乗ったり、職員に手を引いてもらったり、杖にすがったりして歩き、おむつをしていますが、お蔭でスタスタ歩けるし、曲に合わせて踊れるし、先日の「たより」に私の文章を載せて頂きました。自分より弱い人には自然に優しくなります。
土曜でも調先生は早朝優しい笑顔を見せてくださいましたね。先生の笑顔に励まされて今の元気さを頂いたと思います。限りある命ですがいつ命を全うしても悔いのない気持ちです。1日でも長く生きることが先生のご恩に報いる事と思います。
終わりになりましたが、先生のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。」

という心のこもったお葉書でした。この葉書は私にとって宝物です。

遅くなって申し訳ございませんという言葉は本来ならもっと早く書くべきだったのにということでしょう。また、曲に合わせて踊られるのが趣味とお聞きしていましたので、また踊れるようになれて本当に良かったと思います。たよりというのはデイサービスセンターで定期的に発行している発刊物があるのでしょうね。そこに文章を書かれたのでしょう。

確かに私たち肝胆膵外科チームはTさんが回復するように懸命に努力をしましたが、お元気になられたのはTさん自身の頑張りによるものだと思います。驚いたのは、人生観が変わったという言葉です。88歳の方の人生観がかわるのでしょうか。自分より弱い人には自然に優しくなります、と言われます。

Tさんは私達のことを信頼して、勇気を出して大きな手術を受けていただきました。Tさんは術後には痛みやリハビリに耐えて頑張っておられました。いくらお元気とはいえ88歳ですから、特に術後直ぐは歩くこともままならず、ずいぶんつらい、歯痒い思いもされたと思います。命がけの手術を受け、懸命に乗り切って元気になった経験から、お体が不自由な人たちに優しくなれるのでしょう。89歳にしてTさんの感性の瑞々しさと心の優しさに驚かされます。

Tさんのような患者さんに出会えること、そして患者さんが一日でも長く元気でおられることのお手伝いを手術の技術を発揮することでできること、さらには患者さんの人生観が変わったというほどの影響を与えられるとしたら、外科医はなんという素晴らしい仕事でしょうか。その上感謝を頂けるとしたら、これほどうれしいことはありません。

北島政樹先生のように「生まれ変わっても外科医になる」と私が退官した後に胸を張って言えるように頑張っていきたいと思います。