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教授コラム

教授コラム Vol.45「悲観的に準備し、楽観的に対処する」

新型コロナウイルス感染症によって世界は一変してしまいました。昨年12月に中国武漢で発生したといわれるこの感染症はあっという間に全世界に広がってしまいました。この感染症が蔓延する以前は、明日は確かなものと感じていましたが、みなさんも明日がとても不確かなものに感じられるのではないでしょうか。

私は外科医で感染症は素人ですが、たまたま次兄が山口県でその関係の仕事をしており、時々相談しています。

この感染症はだれも経験したことのない敵であり、どのように対処してよいのか答えは誰も持ち合わせていないと思います。しかし、今回の事例は世界的な動向を見ても有事の状況と考えた方が良さそうです。このような時、いつも頭をよぎる言葉がいくつかあります。
まずは孫子の「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という言葉です。なかなか状況が見えない中ではありますが、どんなことが起こる可能性があるのか、想像することは大切に思います。その想像もただ不安に思うだけではなく、科学的な根拠に基づいたものがよいですよね。

今、我が国ではPCR検査が症状のある人や濃厚接触者に限られているため、感染者数は指標としてあてにならないと思います。したがって、ゴールは感染による死亡者数をいかに少なくするかと考えています。私にとってたいへん勉強になったのは北海道大学教授の西浦博先生のグループによるシミュレーションでした。西浦先生方は中国武漢の事例をもとに試算をされています。もちろん、このシミュレーションは何の対策も施行されず、あるいは対策が無効な場合という感染拡大の最悪なシナリオを描いています。そのシミュレーションによれば感染のピーク時には群馬県では気管挿管を要する重症な患者さんが150名に達するという試算です。

もし感染ピーク時に、一度に群馬県で150名の人工呼吸器管理が必要な重症者が発生すれば医療は崩壊するでしょう。今イタリアやイランで非常に死亡率が高いのは感染者が一気に増えたことで医療が完全に崩壊してしまったからではないかと思っています。国全土ではないにしろ、感染者が多い地区では十分な医療を施すことができない状況になっています。爆発的な感染が起これば、感染ピーク時に至る時間は短く、感染者も多い。準備をする間もなく、重症者も多いために医療が崩壊する。たくさんの重症者の治療を行わねばならないような緊迫した事態で、かつ感染防御の準備も十分ではないでしょう。医療従事者は自分を感染から守れず、感染のクラスターを形成してしまう恐れや、さらには医療者が病に倒れてしまえば医療資源は益々脆弱なものになってしまいます。

イランの死亡者1284名、イタリアの4825名。イランでは10分に1名が亡くなっており、イタリアでは1日に800名近い方々が亡くなりました。翻って我が国の死亡者は37名であり、亡くなった方々には心から哀悼の意を表しますが政府の施策や国民の協力により死亡者は極めて低いレベルに抑えられていると思います。今までの経過を見ても、感染のピークがなだらかになることで、感染者数も少なく抑えられ、ピーク時の重症者の数も少ないものになるだろうと予測されます。

一方で、西浦先生方の報告書によれば、感染の開始時期からピークには2~3か月かかること、感染者が多く成ればなるほどピークは早く来ることを報告書は示しています。それを考えれば我が国の感染のピークは4月中旬から5月に来るのではないかと予測しています。また、一部の地域では爆発的な感染がおこるオーバーシュートの発生が懸念されています。

そのピークの時に備えての準備が必要です。県内の基幹病院の使命として重症者をいかに救命すべきかという点は重要です。一方で、コロナ感染症以外の患者さんに対しても特定機能病院として高次の医療を提供する施設としての役割も果たしていく必要があります。私は3つのシナリオを考えました。シナリオA:このまま県内で10名未満の重症者で経過する。シナリオC:50名を超える重症者、シナリオB:その間になります。Aであれば現在の医療提供体制は維持できそうです。Cのシナリオであればこれまでの高次医療を放棄してでもコロナ感染症に対して全力で戦う必要があるでしょう。武漢やイタリアの病院の状況が思い浮かびます。Bが最もありうるシナリオと考えます。その中でコロナ感染症に投入する医療資源と従来の高次機能をぎりぎりのところで両立していく努力と舵取りが必要と思います。

新型コロナ肺炎の治療に関しては抗ウイルス薬の開発や現在の薬剤の効果を検証することは必要です。画期的な新薬が開発されることを心から願っていますが、後1~2か月にピークが来た場合には間に合わないでしょう。私は薬剤に加えて体外式膜型人工肺ECMOが治療の鍵になると考えています。ECMOは肺の重症な障害により酸素が十分にいきわたらない病態において血液を体外に出し、十分に酸素化して元に戻し、一時的な肺の代替をしようという機器です。おそらくコロナウイルス肺炎では肺に高度の炎症がおき、水浸しになり、人工呼吸器だけでは酸素化が改善しない病態があると思います。これは個人的な予測ですが、このような症例の中でその時期を乗り切れれば肺炎が自然消退していく症例があるのではないかと思います。ウイルス感染症の中にはいわゆる風邪もそうですが、自然に治る症例が結構あると思います。コロナウイルス感染症にも低酸素の時期をのり越えれば治癒に向かう症例があるのではないかと思います。だからこそ、ECMOは鍵になるのではないかと考え、そのような体制を含めて準備していくべきと思います。

もうひとつ大切なことは私達医療者が感染しないことだと思います。前述したように医療者が感染してしまえば患者を救うことは難しくなってしまいます。冷静に十分な感染防御が大切です。

「悲観的に準備し、楽観的に対処する」「大きく構えて小さく収める」、これらは本邦の初代の内閣安全保障室長だった佐々淳行さんの本に書いてある危機管理の要諦です。今の我が国の感染が爆発的ではなく燻っている状況は私共、医療者に心構えと準備の期間をくれているのかもしれません。

(2020年3月22日記す、新型コロナウイルス感染症が終息に向かうことを心から祈念して。)