皆さんはプロという言葉の語源をご存知でしょうか。プロという言葉は“Professional”という言葉の略語だと理解しています。“Professional”という言葉の語源はProfessという動詞から来ているようです。Professの意味するところは神の前で宣誓するということだそうです。とくに専門性の高い職業である、宗教家や法律家、そして医師はその行動が倫理的に正しいかとうか専門性が高いがゆえに簡単には判定できない。したがって、怪しいことはしないと神に誓うことが求められたということからきているそうです。教授という称号“Professor”は、正に神に宣誓する人ということになりますね。
世界的に高名な経営学者であるピーター・ドラッガー(1909-2005)は次のような話を“フェイディアスの教訓”としてその著書の中で紹介しています1。紀元前440年頃、ギリシャの彫刻家フェイディアスは、アテネのパンテオンの屋根に建つ彫刻群を完成させました。フェイディアスの請求書に対し、アテネの会計官は全額の支払いを拒んだのです。「彫刻の背中は見えない。見えない部分まで彫って請求してくるとは何事か」。フェイディアスはは次のように述べたそうです。「そんなことはない。神々が見ている」。
「技術者には法令に定める基準や指針を超えて、結果責任が問われる。」という言葉を遺したのは平井弥之助(ひらい やのすけ1902-1986)氏でした2。平井氏は日本の電力土木技術者、電力事業経営者。昭和時代の電力開発に卓越した見識と強い使命感をもって貢献しました。特に女川原子力発電所等の建設にあたっては貞観地震、慶長三陸地震による大津波を考慮した適切な技術的助言を与えたとされています。宮城県出身の平井氏には地震・津波の恐ろしさが伝えられていて、それに備える必要性を強く感じていたからでしょう。「貞観大津波(869年)は実家の近所の岩沼の千貫神社まで来た」と語っていたといいます2,3。東北電力の女川原子力発電所の建設(1968年(昭和43年))に際して「海岸施設研究委員会」に参画し、貞観地震級の大津波に備えるために敷地を14.8メートルの高台に設けることを強く主張しました。さらに引き波時に海底が露出する事態に備えて取水路を工夫しました4。1970年に国に提出された女川原発1号機の原子炉設置申請書では、周辺の最大津波高さの想定値は、3mだそうですが、平井氏は、敷地の高さを15mと主張したとのこと5。東北電力の副社長も務めた平井氏ですので、この工事によって必要となる多額の費用は十分に分かっていたはずですが、決して妥協することはなかったと言います。2011年3月11日の東日本大震災において、13.78m(12.78mの波高と1mの地盤沈下による)6の津波が女川原子力発電所を襲いました。しかし、それは海抜14.8メートルの敷地に設置された3基の原子炉に達することなく、3基とも11時間以内に正常に冷温停止したと言います。放射線モニタに異常値は検出されず、そればかりか、女川原発附設の建物はその後3ヶ月間にわたって津波で家屋を喪失した364人の人々の避難所となりました。1年後の2012年夏、国際原子力機関(IAEA)は女川原発に調査団を派遣し、92ページの調査報告書を日本政府に提出しました。その結論は、「女川原発の諸施設は「驚くほど損傷を受けていない」(the facilities of the Onagawa NPS remain “remarkably undamaged”)」というものでした7。大前研一氏は「事故検証プロジェクト最終報告」において、女川原発、福島第一原発が受けた地震と津波の規模を比較し、女川原発も福島第一原発とほぼ同じようなものであったことを示しています8。東日本大震災は平井の死後25年の年月を経て起こり、女川原発は今まで原発が経験したことの無かった巨大な地震と津波に見事に耐えました。平井弥之助の結果責任を負うという技術者としてのプロフェッショナリズムによって多くの人々は救われました。
翻って、私は今大学教授、professorという称号をいただいている身であるのだから、天や未来にも恥じない仕事を残す”プロ”でありたいと強く感じています。
参考文献