私は今群馬大学で肝胆膵外科の教授を拝命していますが、ここに至る道程は決して平たんなものではありませんでした。前任地の九州大学では人事の関係で毎年病院を変わったこともあり、モチベーションを保つことが難しい時もありました。1年ごとに大学、A病院、大学、B病院、大学という人事には正直参ったこともありました。それぞれの病院で一生懸命に外科医として取り組んでいたと思うのですが、何かが足りなかったのでしょうね。でもそのような中でも多くの先輩や後輩が支えてくれました。また、一時は外科医を辞めて基礎の学者になろうとしたこともあります。30歳代後半だったと思います。教室を辞めて外科医として働くことはできないと感じていましたので、基礎の教授のところに行って雇ってくれないかとお願いしたこともあります。その教授からはいいよと言っていただいたのですが、周りの人から叱られ諭され、断念したこともあります。でも結局その時は逃げていたのでしょうね。
2015年11月1日に群馬大学医学部附属病院の腹腔鏡下肝切除に関する医療事故への改革の一つとして新設された肝胆膵外科学分野の教授として、私は赴任しました。当時、全国的にも大きな問題となっており、全国的にも注目されていました。
その状況に「火中の栗を拾った。」と言ってくれた方も多かったのですが、私自身は全く違った感じを持っていました。
当時私は九州大学の消化器・総合外科で2012年6月より准教授を拝命しており、前原喜彦教授との年齢差から母教室の教授の目はありませんでした。過去3回、他学の教授選に敗れていましたし、もし群大の教授選で敗れるようであれば、関連病院への出向を打診されていました。教授職を狙うような優秀な後輩もおり、准教授のポストをいつまでも自分が占有することはできないと感じておりました。年齢的にも54歳であり、よく任期10年は必要と言われる教授職の条件を考えれば、群馬大学の教授選が最後のチャンスと思っていました。500を超える論文業績、臨床もブラックジャックとは言えないものの、自分なりに懸命に取り組んできたと考えていました。医局運営も前原喜彦先生の懐刀として様々な事に関わらせていただいていました。その時にはこれ以上どうしたら教授になれるのかわからなかったのです。
このような状況の中、精神的には苦しい毎日でした。論語には「四十にして惑わず。」という言葉がありますが、50を過ぎても私自身日々惑うばかりで、五十にしても惑うばかり、「五十にして惑惑だな。」と自分自身のことを思っていました。一方で、もう自分で自分の人生の行く末を決めることができない立場になっていました。「自分には何が足りないのか」、自問自答する中で少しでも答えを求めて人生の生き方やリーダーシップに関する本を乱読していたことを思い出します。
人間として先が見えないことほど、辛いことはないなと感じていました。メジャーリーグで活躍したイチローは、打率争いについて尋ねたとき「愚問ですね。他の打者の成績は僕には制御できない。意識することはありません。」と話したといいます。通常の人であればライバルの打撃に一喜一憂して結果として自分の調子を狂わせてしまい、結局打率が下がってしまう人が多いと思います。このような中で自分自身の心の平穏を保ち、自身のペースを守って目の前のことに集中することが大切ですが、わかっていても中々できることではありません。
でも、自分でいくら考えてもどうしようもない事ってあると思います。野球選手が調子を落とした時に一心不乱に素振りやシャドーピッチングをしている姿をみるように思いますが、専門的なことは別として目の前のことに集中することで心の平穏をえるという効果もあるのではないでしょうか。懸命に生きていれば、意外な方が見ていてくれたりします。また、暗闇の中で支えていただいた方々のことも忘れられません。
今人生の中で、自分が真っ暗闇にいると感じている人はいませんか?自分の人生が光に向かっていることを信じ、目の前にあることを大切にして日々生きていくことが大切だと思います。人は意外なところで見ていてくれていて評価していただくこともあると思います。ですから、日々を大切にして下さい。そのような時にこそ、自分の周囲の人々との絆を大切にしてください。未来のことは誰にもわかりませんが、逃げずに日々を大切に頑張っていれば中島みゆきの「時代」という歌の歌詞ではないですが、きっと「あんな時代もあった。」と言える日が来ます。
自分自身振り返ってみれば、あの閉塞感の中でもがいていた時期があるから、今があると思います。今になっては苦しかったあの時期は自分にとって決して無駄な時間ではなかったと感じます。もしこのような時期を経ることなく、教授になっていたら人の痛みを察することができなかったかもしれません。後輩の悩みに答えることができなかったと思います。
The darkest hour is just before the dawn. 今暗闇の中にいると感じている人がいるならば、夜明け前の直前が一番暗いというこの言葉をかけてあげたいと思います。