これは幕末の革命児 高杉晋作のつくった都都逸だそうです。高杉は都都逸の名人ですね。「実があるなら今月今宵一夜明ければみんな来る」と続きます。幕末、幕府による第一次長州征伐が迫り、絶体絶命の長州藩。幕府への恭順を考えていた、圧倒的多数の旧守派が権力を握っていた長州藩で、徹底抗戦派の高杉は蜂起します。この都都逸は晋作がわずかな人数で蜂起した功山寺の挙兵の前夜につくったと伝えられています。この都都逸を私の教授就任のお祝いに兼松隆之先生(長崎大学名誉教授、現長崎市立病院機構 理事長、)に揮毫していただきました。この揮毫は私の教授室の奥に飾ってあります。「正しいことをやるならば、たとえ少数意見でもぶれてはならない。」そんな戒めだと思います。
私は若いころ、司馬遼太郎の本を乱読しました。若いころは坂本龍馬に憧れる一方で、破天荒で破滅的な生き方をしているようにみえた高杉晋作にはどうにもなじめなかったのですが、いつも気になる存在でした。
もう5~6年前のことですが、ある学会が下関で開かれた時、こっそり一人で高杉晋作の墓を訪れたことがあります。そこは下関からJR山陽本線の鈍行列車でいくつか東に向かった小月駅で降りた“吉田”というところにありました。結核におかされ、死の床にあった高杉が“吉田へ”と言ったことで、ここに埋葬されたという挿話が司馬遼太郎の“世に棲む日々”に紹介されています。吉田には江戸時代の農村はこんな感じだったのかと思わせるような、鳥のさえずりが聞こえる静逸で緑豊かで小川が流れる、そんな日本の原風景が残されていました。その中にひっそりと「東行墓」という晋作の墓がありました。とてもきれいに手入れが行き届いていて、地元のみなさんが晋作をいかに敬愛しているかがよくわかりました。そして、墓のほど近いところに晋作の偉業を讃えた伊藤博文による撰文を記した顕彰碑がありました。「動けば雷電のごとく発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢えて正視するものなし。これ我が東行高杉君に非ずや。」で始まる撰文です。明治の元勲にまで上り詰めた伊藤博文が高杉をとても尊敬していたことがわかります。
晋作は長州藩の名門の出身でしたが、松下村塾で吉田松陰の教えを受け、松陰からは高い評価を得ていたようです。そして晋作自身は同じ塾で学んでいた後輩の伊藤博文をとてもかわいがっていたようです。伊藤博文は幕末の長州藩の激動の中の重要な局面でいつも高杉と行動を共にしていました。
高杉は長く続いた封建制度をひっくり返す、身分に関係ない武士以外の庶民を含んだ「奇兵隊」を結成しました。高杉はこの一事だけで天才だと思います。300年以上続いた封建制度を揺るがす彼は全く新たな価値観を創り、行動したのです。そして旧守派が主流だった長州藩で、100名にも満たない兵力で見事クーデターを成功させます。高杉の挙兵によって雪崩を打ったように、長州藩では幕府への徹底抗戦派が主流を握ることになりました。この時に詠んだ都都逸が「実があるなら」であったとされます。第一次長州征伐で幕府軍を彼が創った奇兵隊が打ち破りました。高杉は第二次長州征伐でも活躍し、明治維新に向かって大きな流れを創ることになりました。高杉はそれからほどなく維新の結実をみることなく27歳の若さで病魔のためにこの世を去りました。その辞世の句は「おもしろきこともなき世をおもしろく」です。この句は決して楽しいことばかりではない人生の中で主体的に生きること、完全燃焼することの大切さを教えています。
昨年の暮れに私は群馬県、そして近隣の群馬大学総合外科学講座の医会員の先生方お一人お一人と面談をしました。その数は200名を越えますが、地域の医療に貢献しておられる先生、基幹病院で数多くの手術を行っている先生など、様々なところで活躍しておられる先生方です。おひとりお一人とお会いし直にお話しをし、現場での悩み、今後の展望など直接お伺いすることで初めてわかることがあります。みなさん価値観は微妙に違うかもしれませんが、それぞれのお立場で懸命に頑張っておられること、皆さんが極めて志の高い外科医であることがわかりました。
残念ながら、群馬大学でおこった医療事故の影響もあり、外科医を志す若い医師が群馬県では激減しています。しかしながら、今回の面談で、患者さん中心の質の高い外科医療の実践に心を砕き、若い優秀な外科医を育成していくことの大切さを共有し、その目標に向かって努力をしているたくさんの仲間がいることを確認できました。群馬の外科医療はきっとよくなると確信でき、とてもうれしく思っています。その上でこのような目標をぶれずに掲げ続け、あらゆる局面で全力を尽くすことが私の使命だと感じています。そのような努力を続けていれば、「実があるなら今月今宵一夜明ければみんな来る」となると信じています。
群大病院はもちろんのこと、関連病院で働く先生方一人一人が群馬の外科医療に与える影響はみなさん自身が思っているよりもずっと大きいと思います。先生お一人お一人が外科医として成長する努力を継続しつづけ、半歩でも一歩でも理想の外科医に近づくことで、群馬県の外科医療はさらによくなると確信をしました。そのためには、目標に向かってみなさんの力を結集することが必要です。この取り組みは大学だけではうまくいかないと思います。どこの病院の一人勝ちとかではなく、今一度心新たにそれぞれの立場でベストの診療の実践に全力を尽くし、若い外科医を育成していくことに心を砕く。それが群馬の“維新”かもしれません。私たちはきっと夜明け前にいます。みなさんの才能が努力によって開花し百花繚乱の時代を迎え、若い外科医が群馬県で大活躍する時を楽しみにしたいと思います。