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教授コラム

教授コラム Vol.62「Kirby Puckettの光と陰」

皆さん、Kirby Puckett(カービー・パケット)をご存じでしょうか?
もしご存じの方がいれば相当のMLB(大リーグ)通と思います。
カービーは1960年生まれのミネソタ・ツインズで活躍した外野手でした。

私がアメリカに留学したのは1990年の7月から1992年3月、留学大学はUniversity of Minnesota、ミネアポリスでした。ミネソタ州は100以上の湖を持つ自然の美しい州です。冬はカナダからのジェット気流が下りてきて全米で一番寒い街としても知られています。州都はセントポール、経済の中心はミネアポリス、2つの町はちょうど同じくらいの人口、規模の街で、ミシシッピー川を挟んでツインシティと呼ばれています。

そこをホームグランドとしていたのがミネソタ・ツインズです。現在では前田健太選手が所属していますね。私は元々野球観戦が好きでしたので、地元球団であるツインズを応援することにしました。ツインズは1990年には地区最下位でしたが、1991年には快進撃で地区リーグ、チャンピオンリーグ、ワールドシリーズも制し、ツインズはなんとその年ワールドチャンピオンになりました。確かシーズンの開幕当初は10連敗の後、その後20連勝くらいして地区リーグのトップに立ち、地区優勝した記憶があります。シーズン中も何度も妻と球場に足を運びました。7回終了時に場内に流れる”Take me out to the ball game.”(私を野球に連れて行って)という唄をいまでも懐かしく思い出します。

アトランタ・ブレーブスとの間で行われた1991年のワールドシリーズはいまだに死闘と言われ、球史に残る名勝負と記憶されています。第7戦までもつれ込み、結果としてそれぞれのチームはすべてのホームゲームに勝利するという結果になり、4勝3敗でツインズはワールドチャンピオンとなったのです。

実は私も妻とこのワールドシリーズの1戦をツインドームの外野席で観戦することができたのです。大学の掲示板に、外野席のチケットが2枚あるよ!というダフ屋のお知らせがありました。1万円以内なら買おうかと妻と相談した後、電話してダフ屋さんと家の近くのホテルのロビーで会おうという約束をしました。どんな奴がくるだろうと内心ビビっていましたが、たぶん普通の学生だったように思います。交渉成立で、めでたく私共夫婦はワールドシリーズの観戦ができました。外野席でしたが、ホームなのでとても盛り上がって楽しかった思い出があります。

カービーパケットは172㎝、95kgのがっしり、ずんぐりした体形でしたが、ツインズの主力選手でした。走攻守とも素晴らしい4番、センターであったと記憶しています。通算12年間で、打率.318、2304安打というのは、素晴らしい成績ですよね。当時はずんぐりとした体形、明るい性格でファンからも愛されていたと思います。球場の場内アナウンスではカアービー、パケッという独特の節回しで呼ばれていたのですが、その声は今も耳に残っています。

ワールドシリーズに話を戻しましょう。ツインズが2勝3敗で追い込まれていた、ワールドシリーズ第6戦。1回の先制タイムリー3塁打、3回の相手の2塁打を奪うジャンピングキャッチ、5回の勝ち越し打。延長に持ち込まれた後、11回にサヨナラホームランを打ち、正に攻守にわたる獅子奮迅の働きでチームをワールドチャンピオンに導きました。カービーパケットは地元ではスーパースターでした。

背番号34は永久欠番となり、大リーグの野球殿堂入りも果たしました。しかしながら、36歳で緑内障で右目の視力を失い引退。2002年には不倫やドメスティックバイオレンスで離婚やトラブルを繰り返し、2006年45歳で出血性脳出血でこの世を去りました。この訃報を私は日本に帰国後に知ったのですが、引退後のスキャンダルを聞いて、現役の頃の彼とどうしても結びつかず、大変ショックを覚えたのを記憶しています。

あくまでも以降は私の想像なのですが、カービーパケットはドーピングの犠牲者ではなかったかと思います。筋肉増強に使われるステロイドの副作用として、緑内障や高血圧などの血管系のイベントなどは広く知られております。さらには現役の頃とは変わり果てた性格、精神的に制御がつかない状況もステロイドの長期服用で説明できるような気がするのです。また、当時メジャーリーグでも普通のようにドーピングが行われていたとも聞きます。

今となっては真実は分かりません。今回の北京オリンピックでもドーピングの問題が取りざたされています。スポーツ選手のドーピングは一時的には爆発的なパーフォーマンスによって栄光をもたらすのかもしれませんが、その人の人生に破滅をもたらす可能性のある、とても怖いもののように思えます。私にはカービーパケットの人生がドーピングに対する警鐘を鳴らしているように感じられてならないのです。