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教授コラム

教授コラム Vol.5「榊原仟先生」

榊原 仟(しげる)先生は、東大の出身で初代の東京女子医大の外科主任教授として心臓血管センターの基礎を築いた先生です。その弟子である新井達太先生(東京慈恵医科大学心臓血管外科の初代教授、埼玉県立循環器病センターの初代総長)が書かれた「外科医の祈り」(メディカルトリビューン社)の中で紹介された1956年ころの挿話です。

そのころ、心房中隔欠損症手術の前後1週間をドキュメンタリーにとらえたラジオ放送がTBSで企画されたそうです。新井先生はプロデューサーの相談役とアナウンサーの案内役を務めることになりました。
以下新井先生が書かれた文章です。

録音は手術の場面から始まった。手術室を見下ろす天井の低い中2階の部屋で長身のアナウンサーは低い鴨居にいやというほど頭をぶつけた。“あわや脳震盪では”と私は緊張したが、「大丈夫。マイクを握っていれば大丈夫です。」という健気なアナウンサーのプロ精神に感服させられた。そして手術場面の録音はこのアナウンサーにより続けられた。
この患者さんの容態は予断を許さぬ状態であった。心房中隔欠損孔の閉鎖後、1時間以上の心臓マッサージと数回の電気ショックでも心拍動は容易に再開しなかった。「これが最後だ」と榊原先生が言ってかけた電気ショックで奇跡的に心臓が動き出した。
この録音の締めくくりにアナウンサーが「外科医の使命はなんですか」と質問した。榊原先生は「外科医は切ること、縫うことはできるが、治癒させるのは医師の力ではなく、自然の力、神の力なのです」と答えられた。その結びから言葉をとって、“神、これを癒し給う”という題で芸術祭参加作品として放送された。そしてこの放送に、その年の文部大臣賞だ贈られた。恩師榊原先生から学んだことは実に多いが、最も感銘深いのは“神、これを癒し給う”という精神であった。今でも私の心には亡き恩師のこの言葉が行き続けている。

と締めくくっています。この言葉はアンブロアズ・パレ(Ambroise Pare 1510~90)の「Je le pansay et Diue le gerarist」「余包帯し、神これを癒し給う」からきているようです。
パレは四肢の切断時に血管を糸で結さつして止血する方法を考えたり、新たに軟膏を開発し、傷の消毒と手当てに使ってよい成績を上げた外科医のようです。この言葉は外科医は謙虚であるべきということと自然治癒の重要性を示した言葉だと思います。
私も同じような経験を術中にしたことがありますが、それはまたの機会に。