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教授コラム

教授コラム Vol.46「ポストコロナの時代」(Version 2, 令和2年6月23日改変)

群馬県ではCOVID19感染症もずいぶん落ち着いてきたような気がします。4月27日を最後に5月5日まで8日連続で新たな感染者は発生していません。もちろん、休日が多く、PCR検査が多くないこともあるとは思いますので、このまま収束してくれるのかはなんとも言えないと思いますが、ぜひそうなってほしいと思っています。

国民の自粛や国民への要請に基づく我が国の政策を諸外国からは甘すぎて不安という声もあるやに聞きます。また、テレビをつければ、どこそこの商店街に人が多いとか、海岸に人が集まって困るとか、そういう報道ばかりがあふれていますが、大部分の国民は自らの生活を変えようと頑張っているのではないでしょうか。今日本では緊急事態宣言が出されていますが、法的な強制力のある都市の移動禁止いわゆる“ロックダウン”ができるわけでもない、外出禁止令が出せるはずもない、個人情報も基本的には守られている、法的な強制力が極めて弱い中でコロナ感染症を乗り切ることができれば、日本は世界の中でも特異な国になるのではないでしょうか。このまま感染を収束できれば、国民自身の自主的な生活の変革によって感染爆発を起こさず乗り切ったことになります。

先日テレビを見ていましたら、、『サピエンス全史』で知られるユヴァル・ノア・ハラリが、Financial Timesに寄稿した「the world after coronavirus」について紹介されていました。われわれは感染症の拡大を防ぐために社会は全体主義的監視社会と市民のエンパワーメントという大切な選択肢に直面していると述べているそうです。流行を止めるため、政府はテクノロジーによって市民を監視し、規則を破った人を罰することができる。感染症を封じ込めるための監視は、皮膚の上だけでなく、温度と血圧など皮膚の下にある個人情報にまで及ぶ。これは中国政府が実際におこなっていることであり、彼らは個人のスマートフォンを監視し、数億台もの顔認識カメラを利用し、人々に体温と病状を報告させている。

この点において日本は世界の他の国とは全く違うということを理解しておく必要があると思います。もし日本が正に“市民のエンパワーメント”によってこの感染症を封じ込めることができたら、凄いことだと私は思います。

しかしながら、この感染症がたとえ収束したとしてもそれ以前の世界とは何かが変わっているのではないかと思います。皆さんもそう感じておられる方が多いのではないでしょうか?それならば“ポストコロナの時代”はどのようなものになるのでしょうか。

私共の身近なところでは医療は大きく変わるかもしれませんね。私共の群大の外科は癌の手術や心臓の手術は普段通りですが、今後患者さんとの接触を避けるロボット支援手術はすすんでいくかもしれませんね。また、開業の先生方は患者さんが減っていると聞いています。不急の受診はしないようにということが、患者さんに浸透してしまったように思います。そして度重なる院内感染から病院は危険であるということを一般の方々は感じたかもしれません。医療の淘汰が始まるかもしれません。

連休中、前から気になっていることがありましたので解析をしてみました。皆さんもご承知の通り、この感染症には地域差がありますね。私も都会に多く、地方には少ないことは何となく感じていました。実際にどうなっているのか調べてみました。国が公表している統計データの中で、人口集中度(都市化の指標)と公共交通機関を使った通勤・通学の人の割合(15歳以上で公共交通機関を利用している人の割合)、人口当たりの自動車の保有台数を用いてみました。多変量解析を行ったところ、公共交通機関で通勤・通学をする割合が危険因子として残りました。この解析からは満員電車やバスなどでの通勤・通学が感染拡大に関係しているように見えます。もちろんこの結果だけで感染経路が公共交通機関と決めつけるのは早計でしょう。実社会では様々な因子が絡み合っているはずですから。ただ、人口集中度や自動車の保有台数などのデータよりも通勤・通学が重い因子ということは興味深いと思います。現在、群馬大学医学系研究科公衆衛生学の小山 洋教授の指導の元、この結果をブラッシュアップして論文を作成、投稿中です。ポストコロナの時代を意識すれば、すでにオンラインの会議や在宅でも意外にいろんなことができるということもわかってきているのではないでしょうか。満員電車やバスなどで通勤・通学をするライフスタイルは変わってくるかもしれませんね。この解析結果を信じるとすればITの発達で、どこでも仕事ができるなら大都市ではなくて地方に住んで仕事はオンラインでというライフスタイルへ変わっていく必要があるようにも思います。

この新型コロナウイルス感染症は人と人の繋がりや絆をまるで分断するように感じられます。Social distanceや密閉、密集、密接を避けることの大切さは感染防御という意味ではよく理解できるのですが、一方で人と人が出合い、触れ合うことによって生まれる友情や愛情、人への思いやり、などはどうなっていくのでしょうか。一人ひとりが孤立感を深め、隣人への思いやりが失われていくとしたら、このポストコロナの時代はとても恐ろしい時代になってしまいます。中世ヨーロッパにおけるペストの大流行の後、文化的にも荒廃した時期が続いたと聞いています。そのようなことにならぬよう、感染防御と人とのふれあい、いかにバランスを取っていくのか、とても大切な課題のように思えます。

”stay home”という時間はとてもゆっくり流れているような気がします。生き方や価値観をもう一度見直し、健全な価値観を生み出し、ポストコロナの時代の生き方を考えることも大切かと思います。

石田健. アフター・コロナに何が起きるか:『サピエンス全史』ハラリの見解と国際社会の変化:ホームページの記載を一部参考にしました。