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教授コラム

教授コラム Vol.13「「ハドソン川の奇跡」に学ぶ」

「ハドソン川の奇跡」という映画を見られた方も多いかもしれません。クリントイーストウッド監督、主演トム・ハンクスという名監督と名優のコンビによる、実際に起こった航空事故とその後をできるだけ忠実に再現した映画で、昨年公開されました。

映画の題材となった航空事故の実際の概略を示します。2009年1月15日 US airways 1549便ニューヨーク ラガーディア空港発シアトル行の飛行機で事故はおこりました。同便はラガーディア空港離陸直後、ガンの群れに遭遇し、左右両エンジンにガンが巻き込まれて同時バードストライクで停止してしまいます。ニューヨーク市上空での出来事です。もちろんニューヨークの市街に墜落すれば乗員・乗客だけではなく、多くの市民が事故に巻き込まれて大惨事になってしまいます。

サレンバーガー機長は空港への帰還は不可能と判断し、ハドソン川へ緊急着水を敢行しました。この間208秒しかなかったそうです。通常、航空事故にともなう緊急着水は今まで成功した試しがなく、選択すべきでないと考えられているそうです。しかし、この機長の瞬時の判断と卓越した操縦技術で乗員、乗客155名は全員無事に生還することができました。

サレンバーガー機長のコメントです。「あの出来事は決して奇跡ではないし、自分はヒーローであるとも思っていません(中略)。全ての乗客、そして乗務員が一致団結したからこそ、一人の犠牲者もなく全員助かったのです。あれは間違いなくチームプレーの結果です。」
US airways 1549便は機長のすばらしい操縦の結果無事着水したのですが、損傷した後部から浸水が始まり、客室内にも浸水が始まりました。乗客は機体沈没の恐怖を感じながら、着水の衝撃のための停電で真っ暗の中を屋外に緊急脱出して、身を切るような寒さの中でパニックに陥ることなく行動をしていました。 その間、機長とキャビンアテンダントらは決められた手順に沿い、機体後方のドアを使用せず機体前方へ誘導、機内の毛布や救命胴衣を回収しつつ乗客への配布、逃げ遅れを防ぐべく機内の確認など不時着水という非常事態に冷静に対処しました。特に機内の確認については機長が既に浸水が始まっていた機体後方まで機内に残っている乗客がいないか2度確認に向かい、乗員乗客全員が脱出したのを確認してから機長も脱出したことが、忠実に映画で再現されていました。サレンバーガー機長はこのような全員の冷静な行動をチームプレーと呼んだのでしょう。

航空業界では事故の分析が医療業界に比べて格段に進歩しているそうです。なぜなら、フライトデータレコーダーやコクピット・ボイスレコーダーなどが残されて、事故現場の調査に合わせて詳細な検討がなされているからです。その結果として、事故の原因をヒューマン・ファクター(人間や組織・機械・設備等で構成されるシステムが、安全かつ経済的に作動・運用できるために考慮しなければならない人間側の要因)の視点からの分析がすすみ、その結果ノンテクニカルスキルの重要性が認識されるようになっています。すなわち、事故の原因として操縦法などのテクニカルスキルに加えて、それ以外のノンテクニカルスキルの重要性が認識されているのです。ノンテクニカルスキルは状況認識、意思決定、コミュニケーション、チームワーク、リーダーシップ、ストレス管理、疲労への対処などを通じてチーム力を発揮することを目的としています。ストレス管理や疲労への対処は自己管理の問題ですし、メンバーの相互理解と支援を円滑にする目的でコミュニケーション、チームワーク、リーダーシップは重要です。例えば、航空事故では副機長が機長の誤認を指摘したのにもかかわらず、機長がそれをまったく受け入れず、事故に繋がった事例などが報告されています。これは状況認識を誤った上にコミュニケーションやチームワーク、リーダーシップに重大な問題があったと考えられます。

サレンバーガー機長のコメントが教えてくれることはUS airways 1549便の事故において乗員・乗客全員がノンテクニカルスキルを最大限に発揮したことによって全員生還できたということだと思います。機長や副機長の技術力はもちろん、キャビンアテンダントの冷静な乗客の誘導、乗客たちもパニックになることなく冷静な避難を行ったことによるということでしょう。

私たち医療者は高度医療の結果生じるバリアンスの中で患者さんによいアウトカムをもたらすことができるよう日々戦っています。高度医療を行えばバリアンス発生は避けて通ることはできません。「ハドソン川の奇跡」という映画を見て、外科医を機長、副機長、キャビンアテンダントを看護師や医師以外のメディカルスタッフ、乗客を患者さんたちと置き換えて考えれば、病院の限られたヒューマンリソースを最大限に活用し、チーム力で様々なバリアンスを乗り切っていく必要性を強く感じています。私たちはノンテクニカルスキルを学び、新たなチーム医療の形を模索していかねばならないと思います。