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教授コラム

教授コラム Vol.68「貫くもの」

第33回日本消化器癌発生学会が東京大学消化管外科学の野村幸世先生の会長の元、2022年11月12日から東京の一橋講堂で開催されました。日本消化器癌発生学会は大原毅先生(当時東京大学第三外科教授)のお声がけで、杉町圭蔵先生(当時九州大学第二外科)、恩田昌彦先生(当時日本医科大学第一外科教授)、磨伊正義(当時金沢大学がん研究所教授)の先生方の協力の元、1989年研究会として設立されました。これらの先生方は所謂井戸を掘った人たちということになります。

今回の学会会長を務められた野村幸世先生は大原毅先生が主催されていた東京大学第三外科(当時)に入局され、大原先生の薫陶を受けた先生です。今回の野村先生の会長就任は大原毅先生にとってこの上もない喜びに感じられたはずです。大原先生は今回体調を優れないのをおして学会に参加されました。野村先生のお声がけで、田原榮一先生(発足当時、広島大学病理学第一教授)や杉町圭蔵先生との面談もかないました。車いすで学会に参加されたのですが、長時間座っているのもお辛いように見受けられました。

私は以前学会の幹事としてこの学会に関わっていたこともあり、大原先生のことを存じ上げていましたので、お辛そうな姿を放置することはできませんでした。私は大原先生の傍にいて看病をしておりました。看病といっても手を握って、時々お声がけをするくらいでしたが。大原先生は野村先生の会長講演に合わせて会場に来られ、会長講演を聞かれて帰られました。私は『以前九大におりました群馬大学の調です。』とご挨拶をいたしましたところ、私のことをお分かりになったのだと思います。『この学会を頼む』と強く手を握られました。私は来年この学会のお世話をさせていただくことになっており、『来年は私が担当させていただきます。』とお話ししますと『うん、うん』と頷いておられました。

野村先生の会長講演は大原先生、上西紀夫先生、野村幸世先生へと引き継がれ発展させてこられた胃癌の発癌研究に関するものでした。大原先生は大変感慨深く感じられたと思います。

以前、まだ大原先生がお元気だった頃、私は先生の特別講演を拝聴したことがあります。その時に先生は『去年今年(こぞことし)貫く棒のごときもの』という高浜虚子の俳句を紹介されました。この句は虚子76歳の時に詠まれた句です。虚子は近代を代表する俳人ですが、近代の俳壇で伝統的な五七五調を重んじ、客観写生を旨とする所謂守旧派の立場を貫いたと聞きます。

大原毅先生にとって貫くべきものは胃癌の発癌研究だったのだと思います。それは3代にわたって貫かれました。だからこそ、大原先生は体調不良を押して野村先生の学会に出席されたのだと思います。

信念を貫いた人生は美しい。『棒の如きもの』は趣味でも、仕事でも、生き方そのものでもよいのだろうと思います。あなた自身の『棒の如きもの』は何でしょうか?私自身も自問しながら生きていきます。