「ありがとう。」は感謝の気持ちを表す時に日常何気なく使う言葉ですが、その由来はどこからきているのでしょうか。Wikipedia1によれば、「めったにない」「めずらしい」を意味する「有難し(ありがたし)」という言葉が語源である。「ありがとう」は有難しの連用形「有り難く(ありがたく)」がウ音便化したものである だそうです。
「ありがとう」という言葉の語源は仏教から由来していると聞きます。大谷大学教授の延塚知道先生2によれば、語源は「有難し」という仏教語である。出典は『法句経(ほっくきょう)』の、「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるもありがたし」である、と言われている。人と生まれた生命の驚きを教える教説である。だから「有り難し」とは、その仏説を聞き、人の生命の尊貴(そんき)さへ目覚めた、大いなる感動を表す言葉でもある。それがいつしか感謝の意に、転用されるようになったのである。先人のこのような宗教的心情を想う時、日本語の中でも、特にすぐれた美しい言葉であると思う。と延塚知道先生はその語源を紹介されておられます。
法相寺大本山薬師寺の管主加藤朝胤さんはこのような説話3を紹介しています。ある時、お釈迦様が阿難尊者に「人間として命を授かった事をどのように思っているのか」と尋ねられました。すると阿難尊者は「大いなる喜びを感じています」とお答えになります。お釈迦様は「盲亀浮木(もうきふぼく)」の喩えをお話になります。 「例えば大海の底に一匹の目の不自由な亀がいて、その亀が百年に一度、息を吸いに波の上に浮かび上がってくるのだそうだ。ところがその大海に一本の浮木が流れていて、その木の真ん中に穴が一つ空いている。 百年に一度浮かびあがってくるこの亀が、ちょうどこの浮木の穴から頭を出すことがあるだろうか」と尋ねられました。 阿難尊者は「そんなことは、ほとんど不可能で考えられません」と答えると、お釈迦様は「誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。とても有難いことなのだ」 と仰っておられます。人として生まれてきたこと自体があり得ない話でそれに対する感謝の心を忘れてはならないという話です。お釈迦様の大変ありがたいお話なのですが、盲目の亀、穴の開いた木?など想像しにくい、とても珍しいという例えにここまでのことを言いますか?という気がしないでもありません。
最近、東京大学の大学院理学系研究科天文学専攻教授の戸谷友則先生の研究発表4がありました。宇宙における生命〜どのように生まれたのか、そして命の星はいくつあるのかというのが研究のタイトルです。この広い宇宙で生命が存在しない状態から、どのように生命が誕生したのか、地球の他に生命を育む星があるのか?という問いに関する研究です。自己複製できる高度な遺伝情報を持った生命体が、非生物的でランダムな反応から偶然生じる確率はあまりにも小さいと考えられてきました。DNAやRNAは、ヌクレオチドと呼ばれる分子が多数つながったものです。4種のヌクレオチドがどのようにつながるかで、コンピュータのメモリのように複雑な情報を保存できます。仮にヌクレオチドが一つずつランダムに結合する化学反応を考えても、生命活動を可能にするだけの高度な情報をもった長いRNAが「たまたま」できあがる確率はあまりにも低く、現実には起こりえないと考えられてきました。例えとして「猿がタイプライターを打って、偶然、シェイクスピアの小説ができあがる」ようなものとも言われます。
一方で最新の宇宙論によれば、宇宙は我々が観測可能な距離(138億光年)のはるかむこうにまで拡がっています。戸谷友則教授は、生命誕生に必要な最小限の複雑さと情報を持った高分子が、実際に宇宙のどこかで生じうるか?ということを検討しました。戸谷友則教授は、これを確かめるため、原始の地球型惑星においてヌクレオチドがランダムに結合し、生命誕生に必要な長さと情報配列を持つRNAが生まれる確率と、宇宙の中の星の数を結びつける方程式をつくりました。今回つくられた方程式によれば、40単位の長さで特定の情報配列を持つRNAが偶然に生まれるためには、宇宙の星の数は1040個ほど必要です。
このシナリオに基づけば、生命を育む惑星は、太陽系や銀河系どころか、我々が観測可能な半径138億光年の宇宙の中で、この地球ただ一つということになります。さらにその中でヒトが誕生するとは正に「有難い」状況ということになるのではないでしょう。戸谷先生のご研究の成果を見れば、お釈迦様の盲亀浮木の例えは決して大げさではなく、生命の誕生自体がいかに「あり難い」ことかがわかります。生命の原型のようなものからヒトが生まれることは更に奇跡的に思えます。お釈迦様はこのようなことを直感的に理解していたのでしょうか?お釈迦様が言われたように生まれてきたこと自体、そして多くの人と出会い、過ごしてきた人生そのものが奇跡のように感じられ、何かに導かれているようにも思われます。かけがえのない命、人と人の出会いの不思議さと大切さが改めて感じられます。
私は週末にはその週のことを振り返り、お世話になった人や感謝すべき人のことを思い、必要があればお手紙や葉書を書くことを習慣にしてきました。振り返ることで、初めてありがたみが分かることがあります。非効率的ではありますが、お礼の気持ちを表わすためになるべく手書きの手紙や葉書にこだわってきました。その人に感謝するという上で、その人に思いをはせ、時間を使うという事も大切に思われるからです。この世に生を受けたこと、皆さんに出会いそして皆さんからたくさんのことを頂いている、感謝するしかありません。そして、沢山の「ありがとう」を発する人の人生は豊かなはずだと思います。感謝は謙虚をうみ、感謝の気持ちは人を前向きにするからです。
今日、私は何回「ありがとう」をいうでしょうか。
参考文献