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教授コラム

教授コラム Vol.21「小鰯の骨」

もう数年前になるでしょうか。私がまだ福岡におります時、九州医療センター肝胆膵外科の才津秀樹先生、高見裕子先生がクローズドの講演会を主催され、私も出席させていただきました。

特別講演の演者は幕内雅敏先生でした。幕内先生は多発性の転移性肝癌に積極的に取り組んでおられるというお話しをされました。

講演会が終わり、才津先生が、幕内先生を囲む会を主催されました。宴もたけなわの頃、小鰯の塩焼きが運ばれてきました。私はたまたま幕内先生の横の席に座らせていただき、お話を和やかにさせていただいておりました。先生のお皿をふと見たところ、鰯の身は食べられていましたが、まるで骨格標本のように髪の毛のように細い小骨の一本に至るまですべて見事に残されていました。

「幕内先生、これは?!」

幕内先生は全く表情を変えずに「肝静脈の一本一本の枝と思えば当たり前だろう。」とおっしゃいました。

幕内先生は系統的肝切除の確立、インドシアニン・グリーン負荷試験を中心とした肝切除適応の確立、適切な術中管理による肝切除中の出血量の低減、肝切除における術中エコーの導入、経皮経肝的門脈塞栓術による肝再生の促進、世界初の成人間生体肝移植成功と術式の確立など数々の輝かしい業績を残された肝臓外科の世界のパイオニアです。現在の肝臓外科はまさに幕内先生が切り拓かれたといっても過言ではないと思います。

その上に、手術の名人としてたいへん有名な先生です。その先生が食事の時にも鰯の骨を肝静脈に見立てて鍛錬を行っておられたということです。あるいは鍛錬というよりはおそらく先生は日常そのようなことを意識することなく普通に行ってこられたのかもしれません。そのことが「当たり前だろう。」という言葉に現れたのではないかと愚考しています。

肝切除においては出血のコントロールが最も重要です。特に肝臓の切離面の肝静脈はしばしば厄介な出血の原因となります。したがって、肝臓外科医にとっては肝静脈の枝を上手に処理することが肝切除中の出血量低減に直結し、重要です。

先生の残された鰯の骨を見た時に鳥肌が立つ思いでした。肝臓手術の第一人者である幕内先生が日ごろからそのような形で鍛錬を行っておられるということを私は目の当たりにしたのです。幕内先生は当たり前のように生活のすべてを手術に集約されてこられたのだと思います。

私の頭には剣豪の宮本武蔵のことが浮かびました。宮本武蔵はみなさんご存じのように生涯一度も敗れたことがないという剣術家、兵法家です。「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす。」という言葉が五輪書に残されており、鍛錬という言葉の起源になっているそうです。

外科医を目指す若い先生方は当然のことながら、みんな手術を上手になりたいと思っていると思います。幕内先生の食べられた鰯の骨を見た時、外科医としてとてつもないご努力をされてこられた一流の先生がおられることを改めて知りました。このことを若い先生がたにも伝えるべきと思い、この文章を書きました。