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教授コラム

教授コラム Vol.17「伊東細胞の発見物語」

様々な形態的な研究手法が発達した現在、生体の中で新しい細胞を発見することは殆どないと言っても過言ではないと思いますが、肝臓の伊東細胞は群馬大学で発見されたことを皆さんはご存知でしょうか?

1876年ドイツの解剖学者カール・フォン・クッペルは肝臓の星細胞(Sternzellen)を発見し、報告しました。薄切した肝臓の切片を塩化金で染色すると(Kupffer鍍金法)、一様に赤い視野の中に黒色のいくつもの突起を放射状に伸ばした「星細胞」が規則正しく散在するのが認められます。

星細胞の発見を報告してから20年以上経った1899年クッペルは肝臓の類洞(肝臓固有の毛細血管)に異物を貪食する細胞を見出しました。生きた動物の血管に墨汁を注入して墨汁を貪食して黒く見える細胞が肝臓の類洞の壁に存在することを見出しました。クッペルは以前発見した星細胞を同じ細胞として「クッペルの星細胞」として新たに報告しました。いわゆるKupffer cellです。

群馬大学の伊東俊夫先生は1950年に従来の成書に見られない「脂肪摂取細胞」を発見し、報告しました。この細胞は類洞腔に露出する内皮細胞やKupffer cellと異なり、肝小葉と類洞の間隙(Disse腔)に存在すること、貪食能が欠如していることから、全く新たな細胞であることを確信することになります。しかしながら、伊東先生が発表した当時は伊東先生が報告した細胞はクッペルの星細胞が脂肪を貪食した像を見ているだけではないかという意見が大勢を占めていました。

1963年ポール・K・ナカネ(中根一穂)先生は伊東先生の発見した細胞がビタミンAを貯蔵する細胞と一致することを示しました。脂溶性ビタミンであるビタミンAが脂肪摂取細胞の脂肪滴の中に溶け込んでいると考えれば極めて合理的な説であると考えられました。中根先生は米国で活躍した生粋の日本人基礎学者ですが、現在盛んに行われている免疫組織化学染色法に必要な酵素抗体法を確立したことで有名です。最初にクッペルが行った鍍金法によって星細胞が黒く染色されるのは塩化金が星細胞のビタミンAと反応し、金が還元されて黒色の微粒子を析出したためと考えられています。

大阪市立大学の鈴木 清教授の研究室で、和気健二郎先生(東京医科歯科大学名誉教授)はクッペルが発表した星細胞に関する1876年と99年の2つの論文を詳細に検討した結果、クッペルの星細胞が第一報と第二報では大きく異なっていることを指摘しました。第一報では類洞壁の外側に存在する細胞を星細胞と記録し、第二報では星細胞を類洞壁を構成し、血液中を流れる異物を貪食する機能を有する細胞であると報告したのですが、クッペルは2種類の異なる細胞を星細胞として報告し、世界的に認められる結果となったわけです。和気先生は様々な報告を追試し、塩化金法、ゴルジ法、ビタミンAの蛍光法、鈴木の鍍銀法で示された「多くの名称が付されていた類洞周辺に存在する結合織細胞」が、実はすべて同一のものであることを明らかにしました。その結果、現在ではクッペルが1876年に発見した細胞を星細胞あるいは伊東細胞と呼び、貪食能を有する類洞壁に存在する細胞をKupffer細胞と呼んで区別しています。

伊東先生は脂肪摂取細胞の発見の功績により学士院賞を受賞します。その受賞理由として、受賞審査要旨が今も残されています。医学博士伊東俊夫君の「肝臓の脂肪摂取細胞に関する研究」受賞審査要旨は以下のごとくです。

「伊東俊夫君はヒトの肝臓組織標本を観察中、従来の成書に見られない第三番目の常在性の細胞を発見し、これをその細胞学的特性から脂肪摂取細胞(fat-storing cell)と命名した。この細胞に関する研究は、昭和25年(1950)伊東君により、第五十五回日本解剖学会総会においてはじめて発表された。(中略)
伊東君は昭和25年以来、肝臓の脂肪摂取細胞の独立性を終始一貫して主張し続け、初めは国の内外から無視され、あるいははげしく反対されたが、終始自己の信念をまげず、現在もなお研究を続けているが、ようやく近年に至り、本細胞を承認する研究者が増加し始め、ついにこんにちでは、日本及び欧米の多数の教科書・参考書に脂肪摂取細胞、伊東細胞あるいはfat-storing cells, cells of Itoという名称が採用され、伊東君の業績が国際解剖学名集であるNormina Anatomica (Excerpta Medica, Amsterdam, 1977年発行)に載るに至った。それは伊東君の発見以来実に27年ぶりのことである。
かくのごとく、伊東君は世界の研究者が永い間見落としていた細胞を、わが国の研究室の一隅で、鋭い、周到な観察力によって発見し、また当初は未知であったその細胞の重要な機能と意義を解明したことは、医学、生物学の発展に対し、寄与するところ大である。」

最近では伊東細胞は肝硬変における線維成分を産生する細胞として、あるいは類洞の血流を調整する細胞として注目を集めています。伊東細胞は未分化間葉細胞と考えられ、肝臓では脂肪滴、ビタミンAの貯蔵という役割を持っていますが、刺激を受けると元々の線維芽細胞としての役割を取り戻し、膠原線維をつくるようになるというわけです。一方で、星細胞の名前の起源となった細胞の突起を収縮させることで、類洞の血流を変化させると考えられています。

最近、肝臓の線維化を反映するM2BPGiという糖蛋白が注目を集めています。M2BPGiは、肝硬変患者さんの血中に存在し、肝線維化の程度を反映するサロゲートマーカーであることを糖鎖研究のパイオニアである成松 久先生(産業総合研究所)たちのグループが発見しました。私たちも研究班に加えていただき、研究をさせていただきました。現在ではM2BPGiは肝臓の線維化診断に有用な検査として保険収載されています。私たちは肝臓の伊東細胞がM2BPGiを産生することを世界に先駆けて報告しました。M2BPGiは短期間のうちに変動することから、伊東細胞の活性をリアルタイムに反映する臨床での初めてのマーカーであると考えています。それによって様々な病態における伊東細胞の新たな役割が明らかになるのではないかと期待しています。

クッペル先生は偉大な解剖学者であったがゆえに、クッペルの学説の誤りを正し、伊東細胞を正しく理解するためには長い年月と多くの研究者の努力と研究を必要としたのです。そして、伊東細胞の研究について日本人研究者は大きな役割を果たしました。また、伊東先生の学士院賞の受賞審査要旨をみると、学者としての信念を貫き、学説を主張し続けることの大切さを感じます。そして、群馬大学の学生や卒業生は“伊東先生による伊東細胞の発見”を誇らしく感じてよいと思います。

群馬大学における伊東細胞の発見から70年近くが経ちました。私の研究内容は前任の九州大学で始まりましたが、群馬大学に赴任した時、不思議な縁を感じました。伊東細胞の発見の経緯を学ぶにつれ、またその機能の多彩さにまだまだ私の興味は尽きません。

参考文献
池田一雄:和気健二郎先生 EASL International Recognition Award受賞のお祝い.Sinusoid News Vol 13. 2017.5月号
山科正平著 細胞発見物語 Blue Bucks 講談社 2009
日本学士院ホームページ 医学博士伊東俊夫君の「肝臓の脂肪摂取細胞に関する研究」に対する授賞審査要旨 第69回(昭和54年6月11日)
戸塚慎一ら:肝生検組織における星細胞(fat-storing cell)の検討―Kupffer鍍金法を応用してー肝臓 1981:22:482-486.
Bekki Y, Yoshizumi T, Shimoda S, et al. Hepatic stellate cell secreting WFA+-M2BP : Its role in biological interactions with Kupffer cells. J Gastroenterol Hepatol 2017: 32: 1387-93.