昔から「医は仁術」とされてきました。仁という言葉は現代の日本人には少しなじみの薄い言葉になっているかもしれません。新渡戸稲造は有名な「武士道」を著しましたが、仁・義・勇・礼・誠・名誉・忠義は、単に武士階級にとどまらず広く人間形成における普遍的規範として西欧におけるキリスト教的な個人倫理に比肩されうるものであると強調しています。仁とは儒教が主張した愛情の一形態、愛とは、他人を大切に思い、いつくしむ感情をさす語だそうです。仁術とは人命を救う博愛の道ということでしょう。そうだとしたら、表題の言葉の医は仁ではないとはどういうことでしょうか。
これは中津藩の医師だった大江雲沢(1822-1899)の言葉です。雲沢は華岡青洲(1760-1835)が開いた華岡医塾大阪分塾に入門し、青洲の弟 華岡良平から医学を学び、明治になってつくられた中津医学校の初代の校長先生でした。
華岡青洲は1804年、世界で初めて全身麻酔下に乳がんの手術を成功させた世界に誇るべき医師です。この成功は西欧でエーテル麻酔が用いられる40年以上前のことでした。華岡青洲は、全身麻酔の下手術を行うために全身麻酔剤の開発に20年以上も取り組んでいました。その結果開発されたのが、通仙散でした。通仙散を開発する過程で、妻と母が薬効と副作用を確認するための被験者として志願し、妻は失明し、母は健康を害し、死に至ります。
このような青洲の妻と母のわが身を省みない犠牲的な行為により通仙散は完成しました。その結果、はじめて青洲の手で乳癌手術が成功し、世界の医学史上に燦然と輝く業績が誕生しました。この成功の蔭で、妻は視力を失い、母も健康を害しました。青洲はこのような光と影の両面の経験から、医は仁でなければならないと、塾生には厳格な修業を説いていたそうです。大江雲沢が「医は仁ならざるの術、つとめて仁をなさんと欲す。」という言葉を遺したのは華岡青洲の塾に学んだことと無縁ではないでしょう。
もう20年以上前のことです。九州大学の第二外科の若手のスタッフとして勤務していた私に兼松隆之先生からお電話をいただきました。兼松先生は九州大学第二外科のご出身で、私も医師になった頃、ご指導を受けた肝臓外科の大先輩です。電話をいただいたときには長崎大学の外科の教授としてご活躍でした。「調君、患者の○○さんに連絡をしてもらえませんか。」とお願いされました。○○さんは1970年代に兼松先生がまだ若いころ、当時の井口 潔教授の外科で肝臓の血管腫という良性の腫瘍に対して肝臓の切除術を受けた患者さんでした。しかし、その時受けた輸血でC型肝炎に罹患してしまいます。当時はC型肝炎ウイルスも発見されておらず、しばしば輸血で感染することがありました。また、当時は肝臓の血管腫は破裂する可能性があり、破裂すれば命に関わることから、無症状でも切除の適応とされていました。いまでは血管腫自体の破裂は稀で、無症状なものは経過観察でもよいのではないかと考えられています。
兼松先生は10年以上前の前任地で手術を受け、C型肝炎に罹患された患者さんのことを気にしておられたのです。C型肝炎に罹患すれば慢性化して30年後には肝硬変や肝癌になってしまいます。
患者さんに電話をしたところ、大変お元気にされており、幸いにもインターフェロン治療を受けられ、C型肝炎も治癒したとのことでした。「連絡ありがとうございます。ああ、兼松先生、なつかしい、ぜひよろしくお伝えください。」といわれました。そのことをお伝えすると兼松先生は大変喜ばれ、「ああ、よかった。ずーっと気になっていたんだよ。」といわれました。兼松先生には様々なことを教えていただきましたが、このときには外科医としてあるべき姿勢という大切なことを教えていただいたと思います。
われわれ外科医は日々患者さんに最良の医療を届けようと努力をしていますが、目指した結果が得られないことがしばしばあります。また、短期的には患者さんによいことをしたと思っても長期的にはどうかわかりません。その時にはベストの判断に基づく治療選択と考えても時代が変われば全く違うこともあると思います。私達は慎重に、慎重に判断をし、自分の手術した患者さんの長期的な経過をいつも気にかけていなければなりません。また、いつも最新の情報を学び続けなければなりません。そして、その結果を謙虚に真摯に受け止め、反省すべき点は反省すべきと思います。
医療が提供するものが高度になればなるほど医療の光はより明るく患者さんに希望を与える一方で、影は深くなります。大江雲沢は、「決して医療はよいことばかりではない。結果としていろんなことがおこる。患者さんにとってよいことをするよう意識をして努めなければならない。」と医師を戒めたのだと思います。
「医は仁ならざるの術、つとめて仁をなさんと欲す。」という大江雲沢の言葉は、高度医療を提供する宿命をおった現代に生きるわれわれにとって益々重みを増しているように思います。