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教授コラム

教授コラム Vol.56「初心」

大谷翔平君のプレーはコロナ禍の暗い世相の中で、日本人を勇気づけてくれているように思います。MLBで140m級のホームランをかっ飛ばし、投げては160km以上、また走塁でも我々を楽しませてくれています。その活躍は二刀流、三刀流といわれますが、近年誰も考えもしなかった活躍はオリジナリティを重視するアメリカ人にも受け入れられているように思います。

世界最高峰のMLBでバッターとしてもピッチャーとしても一流の活躍をする才能と努力は全くわたくしの想像を超えるものです。怪我に負けることなく、肉体が鍛え上げられていることは服の上からも十分感じられます。また、通常のピッチャーなら投球の次の日には歩くのもつらくなるくらい疲労すると聞きますが、登板の次の日にもバッターとして普通に出場している姿には全く驚かされます。

試合中の大谷選手は本当に楽しそうです。笑顔でプレーする姿は清々しく感じられます。大谷選手のMLBに移籍の時には多くのチームの争奪戦になりました。最終的にエンジェルスに入団するわけですが、おそらくほかのチームはもっと良い金銭面の条件でオファーした球団もあったのではないでしょうか。大谷選手はエンジェルスならば二刀流がやりやすいと考えたのでしょう。お金ではなく自由にプレーができることを選んだということだと思います。

さらには大谷君の紳士的なふるまいも注目されています。ボールボーイや審判にも紳士的に接し、折れたバットをバッターに自ら運んで手渡す、ごみを自分で拾うなど、周囲への思いやりや敬意を忘れない態度は感動的です。

大谷選手はリトルリーグの野球少年であった時となにも変わっていないのではないかと私は思います。4番でエースとして活躍したいという強い思い、そしてグランド上の礼儀振る舞いを含めて、彼は変わっていないのではないでしょうか。正に岩手県の水沢市のリトルリーグでグランドをニコニコしながら駆け回っていた彼がそのままにMLBにいるように思えるのです。だから、何も変わっていない大谷選手にとって、紳士的な態度は当たりまえで、何を騒いでいるのだろうと逆に不思議に感じているかもしれませんね。大谷選手の自分の価値観を持ち続けることができる強靭な精神力や自分の可能性を信じることができる能力は素晴らしいと感じます。周囲の人たちからは「二刀流なんて無理だよ。怪我するよ。やめたほうがいいよ。」と言われ続けてきたに違いないからです。

「初心忘るべからず。」は能を確立した世阿弥の言葉とされています。一般的には物事を始めた時の謙虚な、あるいは新鮮な気持ちや志を忘れてはならないという解釈をされています。しかしながら、日本の伝統芸能・古典芸術および芸術思想を研究されている玉村恭先生の解釈によれば「初心忘るべからず」とは、“磨きをかけ、削ぎ落してゆくプロセスを「成長」とみるならば、「初心」は削ぎ落される前の状態にあたる。どのように磨き上げるかによっていかようにも形を変えることができる原石の状態、つまり別の様々な形になることができた可能性を捨てないことを言っているのだ”といいます。

こうしてみると大谷選手はまさに少年の時に持っていた「原石」を大切に何も削ぎ落すことなくあらゆる可能性を求めて、MLBでもそのままにプレーを続けているように見えます。素晴らしいことに野球愛・マナーを含めて何ら変わることなく、正に「初心」を忘れず生きています。

一方、私の周りに自ら可能性を削ぎ落している方もおられるように思います。皆さんも外科医を目指した頃の「初心」を思い出し、もう一度自らの可能性を閉じ込めていないか、必要以上に可能性を削り落としていないか?立ち止まって考えてみることもよいかもしれませんね。その時に自分らしさを再発見し、輝くことができるかもしれません。「初心」に戻って自らの可能性を再検討し、追求してみることも大切ではないでしょうか。