第77回日本消化器外科学会学術集会は7月20日から22日まで遠藤 格会長の元、パシフィコ横浜で行われました。コロナ禍の中難しい運営を強いられる中大変盛大に行われました。会長講演は遠藤先生の外科医としての真摯な生き方に魂を揺さぶられる思いがしましたし、次世代への自らが果たすべき責務に関する強いメッセージが感じられ素晴らしいものでした。
現在私は日本消化器外科学会の理事を拝命しており、財務委員長、男女共同参画ワーキング・グループの担当理事、U-40の顧問を務めさせていただく機会を頂いており、本総会ではそのような立場から様々な活動に参加させていただき、忘れられない学術集会となりました。
特に若手の支援活動であるU-40は自分の思いの強い活動です。私は名誉理事長の森正樹先生や現理事長の北川雄光先生のご高配で2021年に理事を拝命いたしました。理事に就任した以上会員の皆さんのためになることをしないといけないと思いました。それにはまず消化器外科学会のことをいろいろ調べてみました。自分なりの日本消化器外科学会のあるべき姿をイメージすることが重要と思ったのです。日本消化器外科学会は会員1万9千人を超える、日本の外科系では最大のサブスぺシャリティの学会です。会員数の増減、年齢構成や男女比率など事務局の方にお願いをしてデータをいただきました。(少し驚いたことに今まで年齢構成などは検討されたことはなかったようです。)その結果、会員数そのものは1994年をピークに減少を続けており、年齢構成で言えば60歳以上の会員数が最も多く、若手の先生方の比率は減少を続け、会員の高齢化が進んでいることが分かりました。私共は若い消化器外科医に対して支援やメッセージを発信できているだろうかと思いました。
皆さんも見たことがあると思うのですが、外科系学会の専門医制度のグランドデザインという図があります(今後の消化器外科専門医・指導医に係る制度のグランドデザインについて - 日本消化器外科学会 (jsgs.or.jp))。正三角形の図が3段に分けられていて、一番下が基盤の日本外科学会、二段目の台形は消化器外科学会を含むサブスぺシャリティの学会、三段目のとんがり三角は日本内視鏡外科学会や日本肝胆膵外科学会など専門性の高い学会が属します。改めてそのグランドデザインをしげしげとみながら考えていたところ、ハタと気づきました。「日本消化器外科学会は台形なんだ。」と。会員1万9千人以上から構成される台形。私はこれだ!と思いました。多くの会員にはいろんな消化器外科医がいるはずです。新たな術式や技術を世界に向かって新しい情報を発信している消化器外科医から地域でコツコツ頑張っている若手の消化器外科医まで幅広い会員がいるはずだと改めて感じました。正にダイバーシティ。北川雄光理事長の会長講演のスライドの中にも、日本消化器外科学会はハイレベルな学術的知見の発信・国際的プレゼンスの向上とともに質の高い人材育成・地域医療への貢献を重要なミッションとして挙げておられます。大きく2つの方向性を持ったミッションが掲げられているわけです。
われわれが若い頃には3階に位置する学会もなく、日本消化器外科学会は消化器外科領域の最新の話題を扱う最先端の学会でした。上級セッションで発表することが憧れだった記憶があります。昨今は日本肝胆膵外科学会や日本内視鏡外科学会等、様々な専門医制度で3階に位置する学会が発展しています。日本消化器外科学会は今もハイレベルな学術的知見の発信・国際的プレゼンスの向上にAGSという英文誌の発行など、大きな貢献をしています。専門医制度を介して質の高い人材育成・地域医療へも貢献をしてきたわけですが、もう少し若手会員の支援に取り組んだ方がよいのではないかと感じました。専門医制度の上では台形ということを前述しましたが、日本消化器外科学会専門医の取得後、内視鏡外科学会の技術認定や肝胆膵外科学会の高度技能専門医などの取得を目指しても到達できていない若者が多くいる中で、彼等・彼女等を支援することは消化器外科学会の重要なミッションになるのではないかと感じました。若手の入会者が減少しているとすれば我々のメッセージや支援が届いていないのではないかと考えたわけです。日本心臓血管外科学会ではすでに40歳未満の若手会員による、そして若手会員のための支援を行うU40委員会という活動が行われていました。参考にさせていただきました。
北川雄光理事長に日本消化器外科学会におけるU40の創立をご提案させていただいたところ、共感し前向きな様々なご提案をいただき、活動が開始されることになりました。この活動は基本的にU-40による、U-40の為のメンバーの自主的な活動です。この自主性というところを大切にしてきました。理事の先生方から9名の委員を推薦いただき、慶應義塾大学外科の松田諭委員長、徳島大学消化器・移植外科の高須千絵副委員長に活発な活動を開始してくれました。本当に素晴らしいメンバーだと思います。自主性を重んじるという事で私は担当理事ではなく、顧問という役割です。時々相談に乗るくらいでほとんど出番はありません。部活の顧問のイメージでしょうか。(試合にバスを運転して連れていく程度の役割です。)
今回の第77回の総会では遠藤 格会長の全面的なご協力でU40サージカルセミナーという総会の1日朝から夕方までの会場を提供いただき、活動ができました。それぞれの専門領域でのビデオクリニック、術中のトラブルシューティング、統計などとても刺激的で楽しい学びの場となりました。多くの参加者がありましたが、特に大腸のビデオクリニックではエキスパート・コメンテーターの竹政伊知朗先生のお力もあり、200名以上収容できる会場には立ち見がで、オンラインでも300名近い視聴者と大変盛況でした。この場を借りて、ご協力いただきましたエキスパートの先生方、ビデオを提示していただいたU-40の皆様、運営に多大なるご協力をいただいた事務局の皆様、お力をいただいた全ての皆様には心から感謝を申し上げます。
U-40の9名のメンバーの活躍は素晴らしく、松田委員長、高須副委員長のリーダーシップ、他のメンバーの企画力、計画性、献身的な準備、当日の司会も堂々としたものでした。さらに他の人たちへのきめ細やかな配慮もでき、皆のために頑張れる、大人です。
振り返って自分自身を考えれば、30代はあまり冴えたものではありませんでした。関連病院を転々とし、手術技術も業績も大したものではありませんでした。一時期は外科医を止めようかと逃亡を企んでいた時期もあります。振り返ってみれば当時は外科医としてあまり明るい将来が描けていなかったと思います。また、学会発表も結構緊張してあまりうまくいかなかった。様々な事にそれなりに頑張っていたつもりでしたが、未熟でした。周囲の環境に不合理に感じられることもあったように思いますが、自ら前向きになれず状況を切り開く具体的な行動や視点もなかった。周囲の皆様のおかげで何とか乗り越えられましたが、当時は結構つらかったように思います。四十にして惑わずと言いますが、四十になっても迷いばかりで惑々だなあと心底感じたことを記憶しています。確たる人生の展望もなく、外科全体がどうあるべきかなどと考えたことにありませんでしたが、頑張っていればいつか道は開けるだろうという期待だけで生きてきました。私の外科医人生は40歳を過ぎてからすこしずつ広がっていきました。
今回U-40の委員の皆さんと活動を共にして、自分と比べればずいぶんしっかりしていて凄いなあと素直に感動しております。「三十にして立つ」ができています。どうぞ、このまま進んでほしいと思いました。
今、外科の世界も大きく変わろうとしています。ぜひ、若手の消化器外科医の皆さん、日々冴えないなあと感じているあなたも自信を持って、明日を信じて一歩踏み出してください。いつの時代も閉塞し硬直化した世の中を変えるのは若者たちの声と行動だと思います。皆さんはどんな未来の扉を開こうとしているのでしょうか。皆さんの価値観を大切に、技術や業績に関する努力が公正に評価され、お互いを尊重し支えあう温かい未来が待っていると信じて。