群馬大学大学院肝胆膵外科
調 憲
私は昨年11月に群馬大学に赴任させていただいてから1年がたちました。まだ、お示しする業績などもない中、今群大の外科はどうなっているのかという声もお聞きします。私自身、無我夢中で過ごした1年でしたがこの1年考えてきたこと、わずかでは取り組んできたことを紹介したいと思います。群馬大学医学部附属病院では腹腔鏡下肝切除の医療事故をきっかけに診療科の再編成が行われ、旧第一外科、第二外科が統合され、外科診療センターが発足しました。現在、群馬大学が求められているのはまさに信頼の回復であることは言うまでもありません。そのためには何をなすべきか模索をしてきた1年であったともいえます。
私は信頼の回復には「臨床の質の向上」はもちろん、「意識改革」、そして「人材の育成」が同時に行われることが必要と考えています。
まず、臨床の質の向上について述べます。私達の臨床はまさに「徳俵に足がかかった」状態から始まりました。私が赴任して以来、症例数自体は著明に増えたわけではありませんが、日本肝胆膵外科学会が認定する高難度手術が増えてきている。私は肝切除や肝移植を特に専門としてきましたが、肝切除では徹底的に出血量を減少させることに留意してきました。昨年の11月から87例の肝切除を行ってきたが、平均の出血量は364mlである。献血が400mlであることを考えれば、このような場合多くは輸血を必要としておらず、安全に手術が施行できていますが、合併切除症例では出血量が多い症例が存在し、更なる工夫が必要であると感じています。
次に意識改革について述べる。まず、私が赴任してからやったことは肝胆膵外科の理念の策定でした。この理念は肝胆膵外科のメンバーに意見を求め、一人一人の意見から構成されています。私がつくることよりも構成員一人一人の意見が反映されたもののほうが、はるかに重要だと思ったからです。そして自分たちが創った理念に基づいて日々診療を行うことが大切だと思います。毎日、群大病院における医療事故のことが報道される中で、若いメンバーは様々なことを考えていたのだろうと思います。素晴らしい意見が出てきました。私は文章を直したりはしましたが、内容はすべて若い先生方の意見です。これを私達は我々の憲法として守っていこうと思います。
私は医師としてだけではなく、個人として、家庭人として、職業人としてさらには社会人として立派な人生を歩んでいけば決して間違いはないと思っています。そうすることで必ず患者さんから感謝される医師となれます。このことは最も大切なことであると思っており、私達の理念にも示されています。
今回の医療事故に対する事故調査報告書が作成され、その提言では、群大病院が生まれかわり、医療安全の規範となることが求められています。このことは我々にとって重い責務であると考えています。群大病院のバリアンス報告体制は極めて厳格です。しかしその中でも言われたからやるのではなくて自分たちから積極的に報告をする姿勢が大切だと思っています。なぜなら、日常の診療の上で問題点を自覚し、改善する対策を日々考え続ける姿勢を持っていたいからです。グラフは月別のインシデント・バリアンス報告数を示していますが、肝胆膵外科の医師による報告数は増加し続けています。報告した時には院内の共通メールで必ず情報を共有し、次に起こらないように対策を考えています。このことで思い出すのは島根医科大学で1989年に日本初の生体肝移植を行った永末直文先生のことです。先生は胆道閉鎖症の杉本裕弥ちゃんを救おうと生体肝移植を行います。
このころ日本では移植はまさにタブーの時代です。片田舎の島根医科大学には報道陣は殺到し、何かあれば暴いてやろうという雰囲気ではなかったかと思います。このなかで、永末先生は何も隠さずすべてをオープンにしたそうです。術中の判断や医師間の議論まで明らかにし、徹底した情報の開示を行ったわけです。そうでなければ、東大でもなく京都大学でもない片田舎の新設医大はつぶされてしまうと思ったそうです。我々も高度医療を行っていく上で何も隠さないという姿勢は必須だと思っています。
医療安全の上ではチーム医療は大切なキーワードです。
最近、「ハドソン川の奇跡」という映画が公開されました。ハリント・イーストウッド監督が実話に忠実に再現した映画でした。つい最近のことですので、皆さんの記憶に新しいところと思います。2009年ニューヨークのラガーディアン空港を出発したUSエア機は両方のエンジンの出力を失ってしまいます。サレンバーガー機長の素晴らしい判断によってハドソン川に不時着し、乗客・乗員155名全員が生還しました。その要因として機長が上げたのはすべての乗員・乗客の一致団結したチームプレーの結果と述べています。このことは今医療においても医療安全で重要なのはチーム医療であることと重なります。さらには最近ではチームの中に医師以外の他職種のメディカル・スタッフはもちろん患者さんやその家族に含めた方がよいとも考えられています。
航空業界では事故の要因分析をする調査体制がすすんでいます。事故の後でもボイスレコーダーなどの記録が回収されますので、様々な分析がしやすいという背景があると思います。その事故の原因としてテクニカルな問題よりも技術以外のコミュニケーションやリーダシップの問題が重要であることが指摘されています。そしてそのことは医療でも同じ傾向のようです。例えば、副操縦士が懸念を示したのに機長が耳を貸さなかったというのはその1例だと思います。医療の場面でもコミュニケーションの断絶を生み出すような外科医の問題行動が米国で指摘されています。怒鳴る、馬鹿にした態度、ののしるなど、このような行動は手術室でみられがちです。このような行動は厳に慎むべきです。何か間違いに気づいても看護師さんや若い外科医は指摘することができなくなってしまいます。
図は有名な事故のスイスチーズモデルを示しています。複数存在する防御壁の穴が一致した時に重大な事故が発生するというものです。医師のみならず、多職種のメディカル・スタッフはこの防御壁となってくれるはずですが、高圧的でコミュニケーションを拒絶する態度は防御壁自体を失ってしまうことになりかねません。私達は状況判断や意思決定の際には他の人々の意見も十分に聞く必要があります。また、日頃からコミュニケーションやチームワークを大切にし、リーダーシップを発揮する姿勢が大切です。こうしたことに留意して肝胆膵外科では円滑なコミュニケーションが取れるような姿勢を大切にします。
様々なことに取り組んでいますが、結局のところ、1例1例を大切にすること、真摯に対応することによってしか、信頼の回復は得られないと思います。これはアメリカ外科学会が制定した外科医のプロフェッショナルとしての行動規範を示しておりますが、その8番目はtrust is built brick by brickということです。Brickとは煉瓦の一つ一つのことです。煉瓦を一つ一つ積み上げることによってしか信頼はえられないということだと思います。1例1例を大切にしていくこのことに尽きると思います。
最後に人材の育成について述べます。一人でも多くの優秀で志の高い肝胆膵外科医を育成することが信頼の回復に重要であることは間違いありません。
今全国的にも外科医の数が減っています。その理由として労働条件が劣悪なことが上げられていますが、本当にそうでしょうか。図の向かって右のグラフは年代別の離職者数を示していますが、外科では30代~40代など働き盛りの離職者が多いことがわかります。この理由はなんでしょうか。私は真の意味でのやりがいが見いだせないのではないかと考えています。外科医を目指している人達ですから、やはり術者を経験させることは大切と感じています。
九大の時代から、高難度手術であっても私が前立をすることで術者を経験していただくことを大切にしてきました。そのことによって忙しくとも成長を実感できる体制をつくることに腐心してきました。そういう中で明るい雰囲気が生まれると信じています。
さらに若い時に先進的な施設で経験を積むことは大切だと思います。また、外科医にも訪問し、手術を見せていただくことも積極的に行っています。様々な外科医と知り合いになることも成長のためには大切であると思っています。獨協大学第一外科の加藤広行教授のところから若い先生方に手術見学にきていただきました。それも私どもにとってもたいへん刺激になりました。
様々は試みを通して高い志を持った優秀な肝胆膵外科医を育成してまいります。
このような活動を行っていますと入局希望の若者でてきました。また、肝胆膵外科のメンバーはローテーションで回ってきた学生や研修医の先生がたの面倒をよくみてくれています。そのようなことも大きな要因となっています。私はメンバー一人一人が喜んで外科の道を走れるようなチームを作っていきたいと考えています。
今群大は社会から厳しい目で見られていると思います。ただ、特に若い外科医にはぜひとも夢を持って頑張ってほしいと思っています。”The history of medicine is that what was inconceivable yesterday and barely achievable today often becomes routine tomorrow. (きのうには想像もつかなかったものが、今日には漸くできるようになり、明日にはルーチンとなることが医学の歴史である。“という言葉は肝移植を世界で初めて成功したスターツル先生の言葉ですが、スターツル先生は学生のころから肝移植の未来を信じ、大動物の実験を行っていたそうです。まさに夢を持ち続けたことで肝移植はルーチーンとなったのです。心の内に自分なりの夢を秘めて頑張っていくことで夢の実現に少しでも近づいてほしいと考えています。
最後になりましたが、このような講演の機会をお与えいただいた前橋市医師会会長の田中 義先生、講演の実現にお骨折りをいただいた家崎桂吾先生、田中雅彦先生をはじめとした役員の皆様、最後までご清聴いただきました会員の皆様に厚く御礼を申し上げます。
(本講演は平成28年12月14日、前橋医師会の卒後研修会にて行われた講演の抜粋です。前橋医師会の理事の先生がたのご厚意でホームページに転載させていただきましたことに心より感謝を申し上げます。特に、家崎桂吾先生には講演やホームページ掲載に際してご尽力をいただきました。)