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教授コラム

教授コラム Vol.19「竹之下先生の「美学」」

竹之下誠一先生は、1999年より福島県立医科大学器官制御外科(旧第二外科)の主任教授を勤められた後、2017年の春、同大学の理事長に就任されました。教授就任中は第76回日本臨床外科学会総会の会長、第52回日本癌治療学会の会長を務められました。その時のメインテーマは「外科の美学」、「愚直なる継続」でした。とくに「美学」という言葉は竹之下先生の人生にとって大切な言葉ではないかと思います。

竹之下誠一先生の「美学」を示すエピソードがありますので披露したいと思います。このエピソードは群馬大学総合外科学講座主任教授の桑野博行先生に教えていただきました。20年前のことに話は飛びます。竹之下先生は、元々群馬大学のご出身で群馬大学第一外科に入局後、大腸癌の外科治療を中心にご活躍されていました。1998年に群馬大学第一外科の教授であった長町幸雄先生が退官され、教授選が行われました。当時群馬大学の助教授(今の准教授)でいらっしゃった竹之下先生は次期の教授候補として立候補されました。しかし、選挙の結果、選ばれたのは当時九州大学第二外科から立候補した桑野博行先生(現群馬大学総合外科学講座主任教授)でした。

竹之下先生は選挙で敗れた翌日に九州大学の桑野先生を訪れられ、「お迎えに上がりました。そして自分の出処進退を決めるのに1年の時間をください」とおっしゃったそうです。

いままで数多くの教授選が行われ、選挙の結果現役の准教授が他の大学の対立候補に敗れることはしばしばあったと思います。その際に敗れた候補がその結果を受け入れられず、新任の教授に意地悪をしたり、教室を二分して教室の発展を妨げたりと悲しむべき事態がおこるとよく聞きます。竹之下先生は自らの悔しさや悲しみの感情を排し、新たな群馬大学第一外科の発展のために全面的に協力するという姿勢を示されたのです。また、桑野外科の新たな船出に自分が長く居ても発展の邪魔になるということで自ら1年という期限を切られたのだと思います。そのような竹之下先生の姿勢に桑野先生はたいへん感動し、竹之下先生の福島県立医科大の教授への就任に最大限の努力をされたとのことです。結果として、竹之下先生はご自身の約束通り1年以内に福島県立医科大学の第二外科の主任教授に就任されました。桑野先生は「敗者(ルーザー)の美学」としてこのエピソードを私に教えていただきました。

竹之下先生は教授選の結果にいろいろ思われるところはあったはずですが、潔く負けを受け入れ負の感情をコントロールし、自らどうあるべきかを深く考えられたのだと思います。そして、負の感情を前向きのエネルギーに転換し努力を愚直に継続されました。結果として、群馬大学の教授選で敗退した竹之下先生は、福島県立医科大の教授に就任されたばかりか、担当科の第二外科のみならず、大学自体の発展に大きな力を発揮されました。

そのような生き方そのものが竹之下先生の美学なのだと思います。人生は順風満帆の時ばかりと限りません。逆境や不遇の時にどう生きるかでその後の人生は大きく変わってきます。人間の真価は逆風の時にこそ問われているということだろうと思います。